笑門来福

失敗も困難も笑いとばしたい!

お盆の訪問者


昨晩はお盆の最後の夜でしたね。


なんだか母はいつになく興奮していて、
大きな声でへろりんを呼びます。
「どうしたの?」   「そこに 寝ている人がいる。」
「え? どこ?」   「そこそこ。」(と隣の部屋を指差す。)
「誰も寝ていないよ。」 「いや、いる。」


そういえば以前にもそんなことがあったっけと思い
「誰? まっちゃん?(母の母・へろりんの祖母)」
「 うーん、そうかなあ。
 まっちゃんは泣き虫だったから、また泣くばっかり。」

「会ったの?」 「うん、どうしたらいいかと聞いたら泣いてた。」


きょう おばあちゃんは帰るので、夕べは母に会いに来たのかも。
会えて良かったね。


きょう来た理学療法士さんに話したら
「ああ、自分は病院にも行っているので
 そういうことを良く聞きますよ。」


そうなんですね。 
へろりんはこの頃 何があっても驚かなくなってしまいました。
何にしても 懐かしい人を思い出せて良かったとしましょう!

抱かれ枕?


毎日猛暑ですね。
他の部屋はともかく、母の部屋だけはずーーーーっと「26度」設定を保たせてます。
快適であります。


そんな中、週2回母の筋力が落ちないようにリハビリ・マッサージのため
理学療法士さんに来てもらっています。
物理的に動かさないと どうやら骨が固まってしまうようなのです。
元来 体を動かすのは嫌いな母なので
「もう いい。やめてほしい。」と言うのですが
寝たきりだと良いことは1つもないので、頑張ってもらっています。


で! 理学療法士さんから突然の提案があったのです。
大きな弓型の枕(ビーズ枕とも言う)を背中、足の下、足の間等に入れると
皮膚のためにも、姿勢保持のためにもいいんですって。
(抱き枕ではなく、ほぼ抱かれ枕!)
けっこう大きいのですよ。母の背中から足にかけてスッポリと
おさまるくらいのです。1メートル以上はあります。
母はへろりんにだけは「こんなのはイヤだっ!使いたくない!」と
取るまで言い続けるのですが、理学療法士さんや看護師さんには
「いいかもしれない・・・・。」と、おとなしく「抱かれ枕」を
されます。

夏は少々暑いかもしれませんが、
冬になれば枕に抱かれてあったかいかも!?


母の流儀


ウッ・・・なんと1ケ月に1回のブログ更新になってしまった・・・。
皆さんのところを訪ねさせていただくと、同じ1日なのに
ステキに「時を形に」しておられるので、ひたすら脱帽であります・・・。


特に何があったというわけではなかったのですが
母の食事・生活介助に倍位の時間がかかるようになったことと
ものすごく仕事が立て込んでしまったことと
暑いことで もう8月も3日です!!


しかーし、母の食欲は衰えませんです。
ベッドに座って食べられるようになったからか
スプーンを待てず、手ずから お召し上がりになるのでありますよ。
「あ、おこぼれあそばしてますわ。」
と言っても どこ吹く風。(以前より耳が聞こえにくくなったよう。)
トウモロコシが大好物なので、もいだ豆をお皿に入れて出すと
口に入るより こぼれた数が多い!?
しかし満足そうであります。
先日 ちょこっと買い物で行っていたら、家からSOSコールが!
「夕飯はまだかっ! まだかっ!?夕飯!」とお叫びあそばして
いたようで、(まだ2時じゃん!)急いで帰宅いたしました・・・。


かくて 母流の食事がきょうも繰り広げられるのであります。

もし 死んだら・・・・?

わーい・・・ものすごく久しぶりだ。7月!?

ずっと余裕のない日が続いてたのねえ。

あ、でも母は暑さにも負けず、雨にも負けず、まあまあであります


先日郵便局に行ったときのこと、

かなり混んでいて、椅子に座って待っていました。

すると 母親と10代と思われる女の子が話していました。

向かいのカウンターに「家族葬」のポスターが貼ってあるのです。

母「ねえ、あたしが死んだら樹木葬っていうのがいいわ。あんたも楽でしょ?」

娘「え?おかあさん、死ぬの?」

母「そりゃあ、今すぐ死にゃあしないけど、人間みんな死ぬんだわ。

  今のうちからあんたにお願いしとくわ。」

娘「じゃあさ、私がもし先に死んだら、古墳のようなお墓にしてね。」

母「古墳? あんたねえ、埋蔵品なんて皆盗まれちゃうんだよ。それでもいいの?」

娘「いいの! 古墳にしてね。」

母「よし、わかった。あんたは古墳。あたしは樹木葬だ、」

いやあ、なんて明るい会話なんだ!


さてさて、そんな出来事と前後して母は死んだ夢を見たそうです。

「だんだん息が苦しくなって、そのうちスーーッと何かが抜けたんだよ。

 あー死んだ、と思ったけど 目を開いたら、まだ生きてた。」

苦しかった?と聞くとそうでもなかったそうで、

生き返ったのだから ますます寿命は延びたってことね。

特別ではない1日

このところ まあまあ平穏といえるだろうか。

母は96歳半を越え、

入れ歯であるが介助されながらでも しっかりと食べ、

1日に1錠の便通を良くする薬を飲みながらも しっかりと出し、

「だるい、もうだめだ。きょうは特に調子が悪い。」と言いながらも

しっかりと「へろりーーーん。」と呼び続け、

朝か昼か夜か 定かではないながらも 起きたり寝たりを繰り返し、

特別と良いこともないが 特別に悪いこともない。

これは やっぱり有り難いことである。


そうそう ある本を読んでいたら 面白いフレーズに出会った。

「・・・一般的な人生の意味はない。」

(一括りできるような人生の意味なんてない。

・・・・なんて言いきられるとギョッとするが・・・)

その後に「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。」と続く。

(・・そうだよねえ。誰に聞いても納得できる一般的な意味は

 ないのだろうね。 自分でしか今の意味をつかみとれない。

 母の生きる意味は 母自身がみつけるしかなく、

 自分の生きている意味は 自分でみつけるしかないってこと。)

 なんて 真面目に書いてみたが

 つまり 特別ではない1日もへろりんさんにとっては意味あることなんだよね。