それぞれの3月11日
母はあの日、ベッドで今と同じように寝ていた。
かなり揺れた後、向かいの奥さんが様子を見に来て
くれたそうだ。
私は職場にいた。
すぐに電車も泊まり、停電になってしまったため
自宅に帰れない人ばかり。
職場に泊る人もいたが、車で通勤している人に便乗して
私は送ってもらえることになった。
外に出ると 晴れた夜空に月が煌々と照っているのだった。
途中、大きなスーパーの屋根が崩れ、犠牲者が出たため
消防車とパトカーが赤色灯をクルクル回していた。
帰宅して TVをつけた時の衝撃は
今も生々しい。
どんな4年間だったか? 復興は進んだのか?
何も出来ない私は、忘れないでいることしかできない。