笑門来福

失敗も困難も笑いとばしたい!

あらららら


困った・・・
きょう病院に行ったら、またまた「あっちの世界」だった。
母「きょうは へろりんが来ないから電話をあちこちかけた。」
へ「え?どこで?」
母「ここで。あちこち動き回ってかけた。」
へ「ん?」
母「きょう へろりんは家(田舎の)から来たのか?」
へ「いや、自分の家からよ。」
母「車で来たのなら 今から田舎に行こう。」 

困った・・・。木曜には退院して家に帰る。
こんなふうに 意識が「あっち」に行っていると

ベッドからころげ落ちたりして・・・。
ちょうど 年度末で 会社は休めないし。
いよいよ 自宅介護は無理になってくるのだろうか?
へろりん、悩む。 どーしよー。




聞いてない


昨日も書いたが ものすごい勢いで
食物をかきこむ母である。
一心不乱で、しかも噛まない。
きょうは 食事リハ担当のお姉さんが来てくれて
「良く噛んで食べてくださいと言うのですが
 ゴクゴク飲んでいる感じです。
 私の言うことは聞いてないですね。」
なんというか、本能のおもむくままだ。
ほっておいたら、食器まで食べてしまいそうな勢い!!
だから元気なんだなあ。
まあ、せめて聞いていなくてもいいから
5口くらいは噛もうよ~。

超高速


歩けないけれど 母は毎日 野山を徘徊しているらしい。
きょうは なんたらかんたらというところに
行ってきたと言っていた。
そこで だれそれ(もう亡くなっている)に会ったそうだ。

昨日よりは 多少落ち着いているようではあったが
夕食を食べて間もないのに
「ご飯はまだだ。」と言っていた。
夢の中で徘徊しても おなかがすくのね。
看護師さんが 「食べるのが すごく速いんですよ。」ですって。

超高速おばあちゃん。

 
ウーム・・・これが続くのか!?

ど・どうする?


きょう いつものように母の病院に行くと
なんだか話がかみあわない。
母「朝 米を炊いて学校に行かなくちゃ。」
私「ん?」
母「どこで米を炊くんだ?」
私「んん?」
母「そういえば 久保(田舎にある場所)にいる
  ○○さんのところに行こう。」

私「え?今どこにいるの?」
母「白木沢だ。(田舎の別の場所)」
私「ええええっ!!(とうとうどうかしてしまった??)」
こんなふうに 全くかみあわない会話を30分もしてしまった。
これが 認知症 の始まりかも・・・・  

自宅にいた時もこんなこともたまにあったけれど
ここまで 変になったのは 久しくなかった。



しかも主治医からは、もう退院を考えてもいいと言われてるのに。
心配・・・。



それぞれの3月11日

母はあの日、ベッドで今と同じように寝ていた。
かなり揺れた後、向かいの奥さんが様子を見に来て
くれたそうだ。

私は職場にいた。
すぐに電車も泊まり、停電になってしまったため
自宅に帰れない人ばかり。
職場に泊る人もいたが、車で通勤している人に便乗して
私は送ってもらえることになった。
外に出ると 晴れた夜空に月が煌々と照っているのだった。

途中、大きなスーパーの屋根が崩れ、犠牲者が出たため
消防車とパトカーが赤色灯をクルクル回していた。
帰宅して TVをつけた時の衝撃は 今も生々しい。


どんな4年間だったか? 復興は進んだのか?
何も出来ない私は、忘れないでいることしかできない。